どうも岡本です。コパ・ストライプル2006を経て、次は2006年12月17日に開催されたGiアマチュアオープントーナメントに出場。優勝を目指して臨むも、アダルト青帯レーヴィ級準優勝、無差別級3位(ベスト8だったかも)という結果で終わりました。
レーヴィ級では、決勝戦でパンクラシストの高橋Bancho選手にバックを取られたりして負け。無差別級ではレーヴィ級の準決勝で一本勝ちした選手に、ポイントで負けました。
次に出場したのは、2007年7月15日に開催された全日本ブラジリアン柔術選手権。この大会ではアダルト青帯レーヴィ級のみエントリー。優勝できるだろうと思って無差別級はあえてエントリーせずに階級別だけに絞って臨みますが、なんと三回戦(ベスト8)で敗退することになります。対戦相手は村濱天晴選手。この方は、K-1の村濱武洋選手のお兄さんでして、なんとプロシューターだったのです。
試合前は村濱選手だとは気付きませんでした。序盤に小内刈りを仕掛けてアドバンテージを取るのですが、お互いにもつれたところに私が内股で切り返したところから、只者じゃないと思い始めます。
内股で投げた時に一回転してしまい、私がガードポジションになりました。村濱選手が上から攻めてきたのですが、圧力が強いんです。
「なんだこの人は!?」
それ以降は劣勢で、終盤にはコムロックにいこうか迷っているところをスイープされてしまい、0-2で敗退。メダルを取ることもできませんでした。
前回のGiアマに引き続き優勝を逃したことが、とても悔しくてたまらなくて。一時的なスランプに陥りますが、この頃の私は負けたくない思いからか、やはり勝ちに拘ったしょっぱい試合をしていました。
その次に出場した2007年12月23日に開催された全日本オープンでは、負けてもいいから思い切り攻めの姿勢を貫くことを決意して臨みました。その甲斐あってか、この大会は、試合で初めてコムロックを極めることができた印象深い大会になりました。
コムロックを極めたのは、無差別級の三回戦。対戦相手は、コパ・ストライプル2006でも対戦したグラスコ柔術の伊藤選手。コムロックにチャレンジするも、潰されて上手く極めることができなかったので、このときは、絶対にコムロックで極める!という強い決意とともに、襟を深く持つ。左膝を立ててパスガードさせない。という意識を強く持って臨みました。
序盤に伊藤選手のハーフガードに捕まってしまいますが、そこは承知の上。なぜならハーフガードから脇をさしてスイープを狙ってくるのが分かっていたからです。その体勢はコムロックの絶好のチャンスであり、ある意味、逆に私がコムロックで捕まえている。という状態でもあったのです。
私はこの試合をきっかけに、コムロックへのパスガードに対する恐怖心がなくなりました。この頃の私は、相手の襟をなかなか深く握れず、襟を握ったとしても力を使い過ぎて、すぐに腕がパンパンになっていました。また、両脚の使い方も甘いときがあり、たまに脚を潰されて相手からパスガードされてしまうことがあったのです。
正しいフォームはなかなか身につきません。練習や試合でPDCAサイクルをまわし、試行錯誤したうえで、磨きがかかっていったのだと思います。
それらを乗り越えて、勇気を持って試合でチャレンジしたことにより得ることができた一本勝ち。私はこの試合を機に一本勝ちの快感を再認識し、さらに極めに拘っていくことになるのでした。
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