しかし、そんな中での鎖骨骨折。医者からは、完治まで3ヶ月掛かると言われました。
「やったー!練習しなくて良いんだ!ラッキー!!」
心のどこかでこう思っている自分がいました。しかし、不思議なもので、柔道ができなくなると、なぜか柔道がやりたくなるんです。
練習を見学して上半身を使えない分、下半身の筋トレをしながら、同級生が根性を出して頑張っているのを眺める自分。
中には先輩から顔面パンチされて鼻血を出しながらも、「よし来い!」と気合いを入れながら頑張っている奴もいました。
「あれ?俺、こんなんで良いのか?!なぜ足立学園に入ったんだ??」
当初の目的を思い出しました。
「強くなりたいから。」
「レギュラーになって小室や高橋と同じチームで試合に出たいから。」
「いつかは個人戦でこの2人にリベンジしたいから。」
もう、入学したからには、やるしかないんです。同級生にも置いていかれたくないし、抜かれたくもない。
「自分に負けたくない。」
私の中でスイッチが入りました。
早く怪我を治すために、効くかどうかは分かりませんが、カルシウムの錠剤を飲み始めました。スクワットを中心とした、足の筋肉を鍛える筋トレも気合を入れて臨むようになりました。
そして8月。
鎖骨骨折もほぼ完治し、練習も少しずつやり始めた頃、夏休み恒例の名古屋遠征に行ったときのことです。
同朋高校だったでしょうか。
ここに数多くの高校が集まり、一日中、ひたすら練習試合をやりまくるのですが、何を血迷ったのか、こんなことを口走る自分がいました。
「徳原先生、試合に出たいです!お願いします!」
「怪我は大丈夫なのか??」
「はい、大丈夫です!」
「よし、行ってこい!」
相手の高校や相手選手のことは覚えていませんが、唯一覚えていること。
それは、カラダが動かなかったことです。
足がフワフワして、どうすれば良いのか分からない。
正に浦島太郎状態でした。
気付いた時には相手選手に投げられ、右肩から畳の上に打ち付けられました。
「技あり!!」
その瞬間、激しい痛みに襲われました。
試合は中断。すぐに病院に直行。病院で診察を受けた結果は鎖骨骨折でした。ショックのあまり、病院に連れて行ってくださったOBの前で、涙を流してしまいました。
「なんてことをしてしまったんだ。」
治りかけの部分が再び折れてしまい、また3ヶ月間、結局半年もの時間を棒に振ることになるのです。
再び怪我をしてしまい、徳原先生に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったのを、今でも鮮明に覚えています。